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2011年03月

アゴラに寄稿しました 記憶重視の入試は機能している - 宮本佳昭

  
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記憶重視の入試は機能している - 宮本佳昭



今は学歴が関係ない社会ではなく、学歴は最低限要素になった社会。

ニッポンの穴紀行 西牟田靖

  
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ニッポンの穴紀行 近代史を彩る光と影

穴という幅広いキーワードで書かれた本。

なぜか昔から炭鉱村が好きだった僕としては軍艦島について書かれた章が非常に面白かった。炭鉱村好きは自己分析すると、おそらく”広くて閉鎖的な空間”が好きだからなのだと思う。炭鉱村は人の流動性もないし町としてはミニチュアであるが、そのなかに商店、住居、映画館や理髪店といった町として機能するための要素が全て含まれている。今住んでいる場所でも徒歩圏内にそれらの全ての要素があるが、炭鉱村のそれとは少し違う。

炭鉱村のほうが所有という意味において各施設が近い気がするのである。僕はタワーマンションに住みたいと思っているのだが、その理由も炭鉱村に近い。ただの高層マンションに住みたいわけではなく、ジムがついていたり大浴場が付いているタワーマンションが良いのだ。それは家の近所にスーパー銭湯があるのとワケが違う。所有という概念からみると前者のほうが圧倒的に近いからである。完全に所有することは好きではない。シェアと所有の間が何とも感覚的に高揚感をもたらしてくれるのだ。

話が変わって、別の章で書かれていた国立国会図書館はぜひ一度行ってみたいと思った。大量の本を地下8Fまである建物に収納しているらしい。毎日2000点が追加される雑誌を運ぶためのベルトコンベアーがあるのだが、なんとも好奇心がそそられる。以前郵便局でバイトしていた時、そのビルにはゆうぱっくを仕分けするためのベルトコンベアがあったりハガキを仕分けする機会があったり非常に楽しい空間であったが、国立国会図書館も引けを取らない面白さであろう。

以上に書いたことに少しでも共感する部分があれば、ぜひ本書を呼んでいただきたい。なんともニッチな心の高揚感が満たされるのを感じるだろう。

批判は成功への近道

  
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僕の小さいころの大半はサッカーをして過ごした。もちろんテレビゲームとかカード遊びとかもしてたけど、それが自分のアイデンティティになったことはない。本格的にサッカーを始めたのは小学1年生の頃だ。早く始めたのが良かったのか小学校の時に選抜チームに呼ばれたりもした。中学校でも高校でも1年生の時から試合に出してもらっていた。先生やコーチからプレーで怒られた記憶などほとんどない。みんなよりも少しだけ巧かったからだ。自分でもそう思っていたし、褒められるのが楽しかったから長い間続けてこれたのだと思う。
ただ、怒られないことに違和感を覚えたこともある。下手なやつが試合中にミスをすると周りの奴らが「しっかりやれ」と罵声にも似た声を出す。同じようなミスを僕がすると「どんまい」と声をかけられる。たしかに下手なやつと僕ではミスをする回数は違うかもしれないけど、質としては同等だ。これはある意味僕に対して怒りにくいという空気が周りにあったからだと思う。

そんなことを思い出していたら、ふと小学生時代の他校の先生を思い出した。その先生は試合中大声で、ミスをした選手を怒っていた。しかも名前つきで。あまりにも毎回名前入りで怒るもんだから戦っている僕らもその選手の名前を覚えてしまうくらいだ。ある時、地域で選抜チームを作るためのセレクションがあった。大声で怒る先生のいる学校からも何人かきていたのだが、そのメンバーを見て驚いた。そこにいた全員(3人)がいつも大声で怒られていた選手だったのだ。その先生は巧い選手にしか怒ることがなかったのだ。今ではその意味が少しわかった気がする。小学生といえどもチーム内ではしっかりとした上下関係がある。サッカーのうまさがその人の人格であるように扱われることもあるくらいだ。当然チームメイトと言えども、うまいやつらがミスしても怒りにくい。それに追い打ちをかけるように下手な奴らが怒られまくったらどうだろう。下手な連中は、「自分たちは必要とされていない」「怒られるからやりたくない」と士気が下がり、巧くなるものもならなくなってしまう危険性がある。もちろん、プロのサッカー選手だったらそのような対処でいいかもしれないが、小学生のチームの場合、メンバーを入れ替えることは容易ではない。また、一度入ってしまったら仲間はずれになりたくないとう気持ちから、辞めにくいといった心理もあるだろう。また、巧い奴らが調子をこいて緊張感を持たなくなってしまったらチームにもその個人にも損である。

会社でも同様のことが言える。ある程度、経験も積んできた社員には周りは何も言えない。例え理不尽なことを言ってたり、だらだらと仕事をやっていても下からは注意しにくい。特に日本企業ではプロジェクトごとの評価というよりは長い間なんとなく培われてきた評価で地位が決まるため、変動が少ない。そんな中で、少々できる奴らが既得権を振りかざしたらその会社は終わりだと思う。

既得権にどっぷり浸かってしまわないためにも、常に自分を批判的に見てくれる人というのはありがたい存在なのだなと改めて感じた。




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