リアクションは大きく二つに分けられます。

それは、受動と能動です。

この意味については改めて説明する必要もないと思います。

僕の私感で言うと、能動にはポジティブなイメージがあり受動にはネガティブなイメージがあります。例えば、上司が求める部下の行動として一般的には「言われることだけやるのではなく自分で考えて行動してほしい」ということが挙げられたりします。

これも単純化すると「仕事を受動的ではなく能動的にやれ」という事になります。

また 、日常の習慣についても「テレビのように垂れ流しのようなスタイルで情報を収集することによって自分で考える癖がつかなくなる」と言われたりもします。これも先と同じように「情報は受動的に受け取るのではなく能動的に自分で取りにいけ」という意味が込められています。

以上のように、能動には自らの意思が感じられ、受動にはあくまで受身であり、なるべく受動的な行動を減らして能動的な行動をとるようにした方がいいというのが世の中の潮流です。

しかし、多くの人は自らの鍛錬のために合理的な行動を能動的に起こせるわけではありません。PCを開けば経済の動向を調べるのではなくYouTubeを観てしまったり、移動中にはTwitterをだらだらやってしまったりしまいます。能動的に行動するということはある意味、自由が与えられてその裁量を自分に委ねられているということで、それをコントロールするのは非常に難しいものです。

そこで僕が提唱したいのは、”合理的な行動を受動的に行うようにするための仕組みを作る”という事です。

例えば、テレビをCNNニュースしか流れないように細工すれば受動的にテレビを観たとしても英語の勉強になります。何となく読み過ごしてしまうブログ記事も読了後にその記事について感想を1ツイートしないと次が読めないといったようにソフトをプログラミングしてしまえば、受動的にでも自分で考える機会が提供されるようになりますし、毎日ご飯を食べ過ぎてしまう人は、低カロリーで少量のお弁当が送られてくるようにすれば痩せれます。

僕自身の例で言うと、iPhoneには数えるほどの曲しか入れずにあとは英語の勉強系のものをいれることによって移動中やランニング中に自然と英語を聞く習慣がつくようにしたり、図書館で本を借りることで読む期間に制限を設けることで重要だと思うこと部分を後でまた読もうにせずにその場で覚えたり考えたりする習慣をつけるようにしています。

このようにある種の制限やストレスを設けることで受動的な行動でも合理的な方向に向けることが出来ます。というよりも、むしろある程度躁状態の人でない限り受動的な行動をうまく活用できるようにならなければ、目標達成や行動の習慣付けは難しいと言えるでしょう。

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