元ネタはこちら。
 ○○できないやつは、△△できない ←嘘

フレックスタイム制を否定したり、社員の勤怠状況やマナーに異常に反応する会社は、社員一人ひとりの貢献度(売上)がわかりにくい会社ほど多いのではないだろうか。

端的に言うと、元ネタの記事のような会社は全体の雰囲気として、実力で評価されるのを恐れているのではないだろうか。

もちろん僕自身も遅刻はあまり褒められるものではないと思っている。しかし、遅刻とは相手があってのものなので、ただ単に思考停止した頭で作られた社内規則の”9時までに出社”というルールに対しての遅刻ははっきりいってなんの問題もない。これは仕事の内容にもよるだろうが、大半の人は打ち合わせ以外の理由で朝9時に会社にいなくてはいけない理由などない。

話を戻そう。

勤怠やマナーをみんなで守りましょう的な雰囲気やそれを賛美する傾向は学校生活から刷り込められる。小学校の通信簿には生活態度で評価される欄があったり、高校になっても成績はテストの点のみで評価すればいいものの「授業態度」や「宿題の提出有無」のような実力とはまるで関係ないものまで評価対象に含まれてしまっている(授業妨害をするのは良くないが、授業を聞かずに本を読んでたりするのはなんの問題もないはずだ)。

そもそも、学校の勉強に関していうと先生の言ったことを一度で理解して、少ない時間で効率よく成果を挙げるのが理想である。そう考えると宿題をせずにしっかりとテストで点数をとるのは褒められるべきことで、宿題したのにまったくテストの点数に結びついてないのはむしろ最悪である。そういう評価方法があるために、頭は悪いけど真面目な連中は「頑張れば周りから評価してもらえる」というとんでもない勘違いを起こしてしまう。 

その勘違いは社会人になっても続いてしまうのである。勤怠やマナーなどの稼ぐ能力とは全く必要のない分野でお互いを評価し合うことで、稼げない自分を正当化しているのだ。さらに拍車を掛けるように世の中に出回っている自己啓発本で、誰でもできるような稼ぐ能力とはなんの関係もないことを大事だと説明するものだから目も当てられない。

以前のエントリーにも書いたが、日本の多くの企業はこういった「時間で働く」「規律を守る」というブルーカラー的な発想から抜け出さない限りは、先進衰退国への道は免れないだろう。

Add to Google
Subscribe with livedoor Reader
My Yahoo!に追加
はてなアンテナ登録



このエントリーをはてなブックマークに追加